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“MONA BOOKS” 麻生洋平
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失敗ばかりの学生時代。不登校になって、学校をやめる話。
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初めまして、あるいはYouTubeなどで知って頂いている方、ありがとうございます!
麻生洋平です。

 

今日は学生時代の2つの失敗の話をしたいと思います。
僕の2つの失敗とは「1人で全てやろうとしたこと」と「人は楽な方に流れる」ということです。

 

中学生のとき、僕は学級委員をやるような真面目なタイプの生徒でした。
世間では学級崩壊などが叫ばれていた頃で、学校にはやんちゃな不良、いじめ、不登校などいろいろな問題が山積みになっていました。

 

ちょうど音楽が好きになり始めた頃で、初めて買ったCDはスピッツのチェリーでした。
学校の友人たちと自転車に乗って、みんなで同じCDを買いに行った日のことは忘れません。

 

普通の真面目な生徒として学校に通っていた僕ですが、夢はゲームクリエイターか、漫画家、小説家でした。
とにかくストーリーのあるものが好きで、ファイナルファンタジーやドラゴンクエストにハマって、自分でゲームのストーリーを作ったり、ジャンプに漫画を書いて投稿したりしていました。まあ、箸にも棒にも引っかかりませんでしたが(笑)

 

学校のやんちゃな友達はバンドをはじめ、文化祭などのステージに立っていました。GLAYやイエモンのコピーバンドでしたが、カッコ良いな、と羨望の眼差しで彼らを眺めていました。
僕は地味な生徒だったので、自分があんな風にステージに立てるとは思っていませんでした。そんなことができるわけがないと信じて疑いませんでした。

 

でも音楽は好きだったので、音楽ライターという道が見えて来たのもこの頃でした。
そのころはRokin onやSnoozerなど音楽雑誌が全盛期で、ゲームのストーリーや小説を書いていた僕には、うってつけのように思えました。
好きなアーティストのカッコ良いところを羅列して文章にしたり、一丁前に批判するような文章を書いたりしていたのもこの頃です。

 

でもここで一つの失敗のポイントがあります。
僕は文章を書いたり、漫画を書いたり、色々していましたが、全て1人でやっていました。
仲間に見せあったり、誰かに相談したりを全くしませんでした。
もちろん才能のある人はそれでも良いかもしれませんが、才能があるかどうかもわからない時期や、モチベーションを上げるためにも、やはり同じ志を持った仲間を探すべきだったな、と今では思います。

 

今では音楽を一緒にやってくれる仲間もいて、それに対してアドバイスをくれる先輩も後輩もいます。楽しいことも苦しいことも分かち合えます。
そう言った中で新しいアイデアが湧いたり、モチベーションが生まれたりします。
ですが学生時代には気恥ずかしさもあり、自分がそういった創作活動をしているということを誰にも話すことができませんでした。

 

現在ではSNSが発達して、どんな場所に住んでいようとも同じ志を持つ仲間を探すのは容易になりました。創作物もネットにあげればすぐに人に見せることができます。
顔や名前を出す必要もないので、気恥ずかしさもありません。
最初は批判を受けるのが怖くて、創作物をアップロードするのは気が引けるかもしれません。アップする前にコミュニケーションを取ったり、人の創作物を褒めて、見てもらいやすい環境を作ることもできます。

 

または相談するのも良いかもしれません。
音楽だったら僕もアドバイスはできますので、ご相談お待ちしてます。
人は相談されると嬉しいものです。
大抵の人は快くアドバイスしてくれると思います。

 

2つ目の失敗についてですが、「人は楽な方に流れる」ということです。

 

ある日、父親が結核にかかって、学校を早退することになりました。
僕は先生に早退することと、その理由を伝えると、あっさり学校から抜けられることができました。学校は当時やんちゃな生徒で荒れていたので、僕のような普通の生徒に構っている暇はなかったのでしょう。

 

それに味を占めた僕は、早退を繰り返すようになってきました。
はじめは簡単な理由をつけていたのですが、そのうちクラスメートに「先生に体調悪いから帰ったって伝えておいて」などと言って早退するようになりました。

 

勉強はそこそこやっていたので、高校に行くことはできましたが、結局そんな感じで朝から保健室に入り浸り、全く授業に出ないようになりました。
結局最初の夏休みが終わるころには、高校を辞めることになりました。

 

「人は楽な方に流れる」まさにその通りだな、と思います。

 

今思い返してみても、なぜ学校に行きたくなかったのかがわかりません。
早退しても、結局家に帰ってベッドの上で天井を見つめながら悶々をしていました。
「学校に行かなきゃ」「今のままじゃダメだ」と心で思いながらも、足取りは常に重たかったです。
学校に行けない自分を見て、「自分はなんてなさけない人間なんだ」と思うようになりました。
自分で自分のことを信じることができませんでした。

いろんな友達がやってきて、「学校行こうぜ」と言ってくれましたが、結局僕はいけませんでした。

 

そんな中でも良かったことはいくつかあります。

 

1つはセーフティプレイスになれたことです。
長い学生生活、誰しもが僕のようになることがあります。
ストレスやいじめ、ちょっとした疲れなど。
そんな折、友達がやってきて、今日学校行きたくないんだ、と僕に言ってきました。
僕はその気持ちがものすごくわかったので、一緒に時間を過ごしました。
といっても特別なことをするわけでもなく、家でテレビを見たり、お菓子を食べながら話をしたりするだけです。
ちょうど鳥が羽を休める木々のように、僕と少し過ごして、何週間かするとみんな、英気を養って、学校に戻っていきました。
戻れなかったのは僕だけでした。

 

もう1つ良かったことは、今学校に行かない子供に会った時に、「それでも大丈夫だよ」と言えることです。
どんな子も大抵は、学校に行かなきゃ、ちゃんとしなきゃ、と思っています。でもそれができない。
そんな子に「ちゃんと学校に行く」から早々にドロップアウトして、それでも生きている僕を見てもらって、「それでも人は生きてるんだな」とか、「ああはなるまい」などと反面教師にしてもらうのも良いかなと思っています。

 

中学2年生から早退グセがつき、結局学校を辞めてしまった僕ですが、先日YouTubeで僕を見てくれた中学2年生の時の時の担任の先生から電話がありました。
いろんな伝を頼って連絡してくれたのですが、担任の先生は今や校長先生になっており、
「ネットで活躍見てるよ」そして
「あの時の真面目な生徒に申し訳ないと思っている」と言われました。
荒れた学校に初めて赴任してきた若い先生だったので、毎日大変だったそうです。先生自身も「学校に行きたくない」と本気で思っていたそうです。

 

それでもこうして僕は音楽家として生きてきて、先生は紆余曲折あって校長先生になられて、今こうして会話できている。素晴らしいことだな、と思います。

 

いろんな失敗がありましたが、そのおかげで成長できている気がします。

 

長い文章見ていただきありがとうございます。
次回はオーストラリアでプロミュージシャンに会う、車の事故に巻き込まれ逃げるように東京に出てくる、です。

 

続きは下記のリンク先より。

 

https://monabooks.bitfan.id/contents/140352

2023/12/29 12:45

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