事故る。東京に脱走。師匠とTuck&Pattiさんに出会う、の話。

“MONA BOOKS” 麻生洋平

2023/12/29 12:48

フォロー

初めまして、あるいはYouTubeなどで知って頂いている方、ありがとうございます!
ウクレレ&ギタープレイヤーの麻生洋平です。
前回の続きですので、まだ未読の方は自己紹介をお読みください。

 

https://monabooks.bitfan.id/contents/140350

 
 

今回はオーストラリア留学で車谷浩司さんに出会って、ミュージシャンという生き方にも憧れが出始めたあと、日本へ帰国した後の話です。

 

帰国後は結局地元に戻って、引っ越し屋のアルバイトを始めました。
意気揚々と帰国したは良いものの、自分自身がまだ何をしたいのかうまく掴めていませんでした。
なんとなくお金を貯めて、また海外へ留学したいな、と思っていたのですが、ちゃんとしたプランがあるわけでもなく、またダラダラした日常へ戻っていきました。
以前やった失敗の「人は楽な方に流れる」をまた繰り返してしまいました。

 

そんなある日、アルバイト先から帰る途中で、交通事故に巻き込まれました。僕は原付で相手は車です。
首がムチウチになり、病院通いとリハビリを毎日しなければならなくなりました。初めのうちは病院に通っていたのですが、だんだん通うのが面倒になってきました。
バイト代もそこそこ溜まっていたので、東京に遊びに行こう、と思い立ち、バイト先にも告げず、そのまま東京へ行ってしまいました。

 

東京には両親の学生時代の友人、僕にとっては子供の時から世話をしてくれたおじさんとおばさんが住んでおり、その家に1ヶ月住めるということになりました。僕を1ヶ月もおいてくれたおじさんたちには感謝です。「洋平、お前はいつまでも居ていいぞ。」とおじさんは言ってくれました。
おじさんたちは今では大成功して、訳のわからないデカさの別荘を河口湖に持っています。

 

1ヶ月間、おじさんの家に住んでいた頃、おじさんは僕を連れて、おじさんの会社のギターの上手い社員やパートのおばさんたちに会わせてくれました。
おじさんの自慢は、あの時僕が会った社員やパートのおばさんたちがまだ仕事を辞めていなくて、ずっと一緒に仕事を頑張っている、ということです。

 

先日おじさんが別荘に招待してくれました。ご飯を食べた後、寅さんのビデオを見ながら「洋平、あの時会ったギターの上手いおじさんやパートのみんなを覚えているか?」と聞いてきました。
「もちろん」と僕が言うと、
「みんなまだ一緒に仕事をしている。まだ一緒にやってくれてるんだよ。」
そう嬉しそうに言ってお酒を飲んでいる、おじさんの後ろ姿を覚えています。

 

おじさんの家に居候している間に、同じ歳の友人が東京の大学に中途入学するということで、僕に連絡が来ました。
「麻生君、東京にいるんでしょ?一緒に住まない?」
特にやることもなかった僕は「いいね!」と二つ返事でオッケーしました。

 

こうして書いて見て気づくのですが、僕は本当に何も考えず生きていたんですね(笑)

 

そのままシェア生活を始めたのですが、バイトだけやってダラダラ生活している僕に、あまりに見かねたのでしょう。友人から言われました。
「麻生君、今の君の生活態度はひどい。君のおじいさんが今の君を見てどう思うのかな。」
(実際はもっとキツイ言葉で言われましたが。)
それを言われて、僕は、恥ずかしくて会えないな、と思いました。

 

僕は何をやりたいんだろう。
せめて恥ずかしくない自分ではいたい。

 

その頃、並行して車谷浩司さんに憧れてギターを初め、毎日弾いていました。(特に音楽活動などはしていませんでしたが。)
「ギター弾きたいな。」
そう思いました。

 

そこで伝を辿って、地元の同級生でセミプロをやっている友人に会いにいきました。
セミプロの友人は言いました。
「ギターをやりたいなら、絶対プロに習った方が良いよ。」

 

まだYouTubeもなかった頃、インターネットでとあるソロギターの演奏動画を見たことがありました。
Tuck AndressのEuropeをソロギターを弾いているAcousphere奥沢茂幸さんの動画です。
まだTuck Andressさんを知らなかった僕は、すごい演奏をする人が日本にはいるんだ、と思いました。
そうだ、この人にギターを習いに行こう。

 

奥沢茂幸さんのプライベートレッスンを習いに行った初日、僕は自分が何にもできていなかったことに気づきました。
毎日弾いていたギターもたいした腕ではなく、自分が何も持っていない人間なんだ、ということに気づきました。
レッスンの帰り道、自分が情けなくて、涙が止まらなくなりました。
帰り道の景色は、涙で滲んで、よく覚えていません。

 

それから毎週レッスンに通うようになりました。奥沢さんは後進の育成にも熱心な方で、大変丁寧に育てていただきました。今でもお世話になっています。
音楽をよくするためには音楽活動をしないといけない、ということでギタリストを紹介していただき、ギターデュオを組むことになりました。
先輩のギタリストだったので、何も知らない僕に手取り足取り、ライブの組み方や集客の仕方を教えてもらいました。
奥沢さんはプロミュージシャンたるもの、演奏で収益をあげるのが当然、そうでないと音楽ができなくなってしまう、という考え方の持ち主だったので、僕の演奏は最初からギャランティが出るものでした。
おかげでこれまで一度もギャランティのない仕事をしたことがありません。

 

また奥沢さんの師匠であるTuck&Pattiにも会わせていただきました。
お二人は夫婦でもあり、素晴らしいアーティストです。
Blue NoteやCotton Clubの楽屋に入らせてもらう中で、いろんな音楽的質問や人生相談にのってもらうことができました。
僕のような孫弟子の相談にも親身になって本気で答えてくれるお二人。

 

ディズニーのお偉いさんがTuck&Pattiに仕事の話に来た時に、ふと僕がお二人に質問したら、本気で熱く答え始めて、全く仕事の話ができなくて、後で裏で怒られたことがあります。
それぐらい何に対しても本気で接してくれる、というのは全ての素晴らしいミュージシャンに共通していることだと思います。

 

そんな日々を過ごす中で、本気でミュージシャンになりたい、と思うようになりました。
同じギターデュオを組んでいた先輩ギタリストはバークリー出身だったということもあり、バークリー音楽院への憧れも出てきました。
奥沢さんもバークリー音楽院出身だったので、バークリー留学を勧めてくれました。

 

バークリーにはサマースクールのいう制度があり、ちょっとした入学体験できる制度です。僕はそれに行くことに決めました。

 

そしてアメリカへ音楽留学したのですが、全く通用しませんでした。
また長くなったので、また次回に続きます。


次回はバークリーで何も通用せず、音楽を辞め、ドラゴンクエスト6を全てコンプリートしてクリアする話です。

 

https://monabooks.bitfan.id/contents/140354

ページを報告する

コピーしました

有料会員になるとオーナーが配信している有料会員限定のコンテンツを閲覧できるようになります。

“MONA BOOKS” 麻生洋平 ¥600~ / 月

会員登録する

コピーしました