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“MONA BOOKS” 麻生洋平
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バークリー留学、失敗。引きこもってドラクエ6をやりこむ話。
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初めまして、あるいはYouTubeなどで知って頂いている方、ありがとうございます!
ウクレレ&ギタープレイヤーの麻生洋平です。
前回の続きですので、まだ未読の方は自己紹介をお読みください。

今回はアメリカのバークリー音楽大学の話です。
バークリー音楽大学はアメリカの有名なジャズの学校です。数々のスタープレイヤーを輩出しています。
バークリー時代、僕が犯した失敗は「自己評価の高さ」「プライド」、そしてそれによって起こる「諦め」です。

 

僕が行ったバークリーのサマースクールでは、アメリカの音楽学校の有望な学生が次のセメスターで入学するために特待生として来ていたり、世界各地ですでに活躍しているミュージシャンがスキルアップために集まっていました。
日本からはサックス奏者の寺久保エレナさんが特待生で来ていた年です。
まだ10代だった彼女は、特待生だけで集まったメンバーでホールで演奏していましたが、その中でもパッと見ただけで1人だけ輝いているのがわかる、溢れる才能の持ち主でした。

 

その頃、僕はジャズスタンダードはほとんど弾けませんでした。でも学校に行けばなんとかなる、という甘い考えを持っていました。
もちろんそんな甘い考えで通用するものではありませんでした。
学校では個々のレベルに応じて、授業の内容が変わるのですが、僕は全授業ほぼレベル1からのスタートです。
それでも学校では丁寧に教えてもらえるので、なんとかついて行けるのですが、学校が終わった後、みんなでセッションしようぜ、と学校に併設のスタジオに集まります。
「じゃあDonna Leeやろう!」
みたいな感じで、みんながバリバリ弾いている中、僕は譜面を追って弾くことすらできませんでした。

 

意気消沈している僕に、日本の飯田ジャズスクールから来ていた先輩ギタリストが特に優しくしてくれました。
「とにかくやることが大事だから。僕の行くセッションには必ずついておいで。」
でもどのセッションに行っても、僕が一番下手でみんなに迷惑をかけてしまいます。

 

セッションの帰り道、雪の中ギターを担いで、うまく弾けなくて落ち込んでいる僕を「大丈夫!」と勇気づけてくれ、まあ飲めよ、と安いビールを2人で分けた記憶が思い出されます。
「セッションに行き続けていれば絶対変わるから!」
と応援してくれた先輩。
また会いたいですね。

 

その頃、ちょうどジャズボーカル飯田ジャズスクールのお嬢さんの飯田さつきさんもバークリーに来ていて、色々良くしてくれました。
一緒にニューヨークのアポロシアターを見に行ったり、ハーレムの危ない道を通ったのも良い思い出です。今ではジャズシンガーとしてコットンクラブに出演なさったり、大活躍されていますね。

 

サマースクールの生徒たちが帰った後、僕はボストンに残り、レッスンに通いました。
そしてセッションにも行っていたのですが、誘ってくれる先輩も帰国し、また1人になった僕はいつしかセッションに行くのもやめ、部屋に引き篭もるようになっていました。

 

半地下の安いアパート。
窓が壊れていて雪が入ってくるような寒くて薄暗いところでした。
そのアパートにはバークリーの生徒たちがたくさん住んでいて、
あちらこちらの部屋から音楽が聞こえてきます。
All The Things You Areなどのスタンダードから、Yes or Noなどのウェイン・ショーターの曲をよく弾いていて、隣の部屋からばりばりアドリブを撮っている音が聞こえてきます。
僕には到底弾ける気のしない難しい曲。
「こんな上手い人ばかりがいる中で、僕が音楽をやっていくなんて無理だ」

そう思った僕は引きこもってゲームばかりしていました。
ドラゴンクエスト6、全ての職業をマックスにして、アイテムをフルコンプリートしました。それをするのに一体何百時間かかるのか、このゲームをやったことのある人はわかると思います。

 

ここに僕の大きな失敗があります。それが「自己評価の高さ」です。
世界中から集まった素晴らしいプレイヤーたちに、スタンダード曲も弾けない僕がそもそも敵うわけがありません。小学生がプロサッカー選手に敵うわけがない。当たり前の話です。
なのに「自己評価の高さ」により同じ土俵で比べてしまった。

 

そして今思い起こせば自分より弾けない人も学校にいました。
でもそういった人は勘定に入れていなかった。
上ばかり見て、自分が一番下手なんだ、と思ってしまった。

 

ここにも失敗があります。
自分はこれぐらいできるだろう、できているはずだ、という自尊心がそもそもある。
でも実際はそこまでできない。理想の自分と現実の自分のギャップ。
どうしても人は自分を過大評価してしまいがちです。
その「プライドの高さ」によって、自分よりうまく弾けない人を全く見ていない、勘定に入れていない。
それは「その人たちを認めていない」というのと同義です。
人間を技術力の差で上にみたり下にみたりする、あまり褒められたものではないかもしれませんが、当時の僕はそう言った考え方でした。

 

今振り返って、その時の自分はどうするべきだったか。
今なら僕は自分と同じくらいのレベル、あるいはそれより下の人を集めて一緒に練習する、という方法を取ると思います。みんなで楽しく上手くなる。一緒にレベルを上げていく。
僕に優しくしてくれた先輩が、まさに無意識的にやっていたことでした。

 

でもその時はそう言ったことに考えが行きませんでした。
「プライドの高さ」と自分だけ上手くなりたい、人より抜きんでたい、という自己中心的な考え方があったのでしょう。

 

結局力量もない僕は、「もう音楽は無理だ」と諦めて、失意のうちに帰国します。
そして1年間の行方不明時期を過ごします。
誰にも連絡せず東京で引き篭もる1年間。

 

また長くなってしまいました。
次回に続きます!

 

https://monabooks.bitfan.id/contents/140355

2023/12/29 12:49

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